ちょっと変わった都市伝説をまとめた、都市伝説大百科
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放課後の小学校でのこと。
薄暗い夕暮れ時に、誰もいないトイレの個室に入ると何処からともなく無機質な声が聞こえてくる。
「赤いマント着せましょうか?」
「赤いマント着せましょうか?」
薄暗い夕暮れ時に、誰もいないトイレの個室に入ると何処からともなく無機質な声が聞こえてくる。
「赤いマント着せましょうか?」
「赤いマント着せましょうか?」
もしうっかり“はい”と答えてしまうと、何者かに背中を切り裂かれて惨殺されてしまう。
背中を切り裂かれた被害者の姿は、あたかも赤いマントを着せられたかの様になっている・・・・
赤マントの噂ですが、この都市伝説の誕生には二・二六事件に参加した帝国陸軍の青年将校が関係しているといわれます。
赤マントのイメージを作ったとされる中橋中尉が着用していた将校マントは、裏地が緋色で“中橋の赤マント”として有名でした。
二・二六事件は国家を揺るがすクーデター未遂事件として当時社会に大きな衝撃を与えましたが、その事件の参加者に中橋中尉が居りました。
当時は情報統制が敷かれて、民衆は事件の詳細について殆ど知ることができませんでした。
新聞では青年将校の暴挙という部分のみがクローズアップされて、事件の参加者に赤マントの青年将校が居たということで、人々の関心を集めたようです。
中橋中尉の奇抜な出で立ちから、赤いマントを身につけていた理由は日本刀で人を斬りつけた際に返り血が目立たないようにするためだったと噂されました。
赤マントの都市伝説が最初に流布したのは二・二六事件より少し時代が下った昭和10年代の中頃。当時の噂は、赤マントを着た怪人が子供達をさらって殺す、少女なら暴行して殺すという極めて恐ろしい内容でした。
「二・二六事件」と「赤マントの青年将校」。2つの話が伝播する中で、情報は削がれて変質し、社会的な不安の助けがあって、赤マントと凶悪な殺人鬼が結び付いたようです。
昭和期から綿々と続く赤マントの話ですが、そこから様々な学校怪談が派生しました。
その一つが赤いチャンチャンコの話です。
赤いマントと同じように
「赤いチャンチャンコ、着せましょか?赤いチャンチャンコ着せましょか?・・・・・」と便所に入っている時に聞かれます。
この問いにうまく返答しないと赤いチャンチャンコを着せられたかのように、血まみれになって殺されてしまうということです。
そして「赤いチャンチャンコ、着せましょか?」という不気味なフレーズですが、考案したのは稲川淳二さんだといわれます。ラジオで赤いチャンチャンコの話を語った際にそのフレーズを使用して、全国に広まったそうです。
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